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名古屋高等裁判所金沢支部 平成9年(行コ)7号 判決

控訴人

甲野春子

右訴訟代理人弁護士

佐藤辰弥

川上賢正

円居愛一郎

北川稔

坪田康男

黛千恵子

右訴訟復代理人弁護士

安藤健

被控訴人

地方公務員災害補償基金福井県支部長

栗田幸雄

右訴訟代理人弁護士

金井和夫

金井亨

太田真人

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人が平成二年二月二八日付けでした控訴人に対する地方公務員災害補償法による公務外認定処分を取り消す。

三  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

主文同旨

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二  事案の概要

一  本件は、福井県立科学技術高等学校(科学技術高校)の衛生看護科の教諭であった控訴人(昭和一五年五月一六日生、本件発症当時四九歳の独身女性)が、平成元年六月二八日、公務出張中のJRの駅構内でもやもや病による脳内血管の破綻による脳内出血・脳室内出血を発症して倒れ、脳障害等の後遺障害を負ったことから、地方公務員災害補償基金の福井県支部長である被控訴人に対し地方公務員災害補償法に基づき公務上災害の認定の請求をしたところ、被控訴人が平成二年二月二八日付けで控訴人の前記発症は公務外の災害であると認定する旨の処分(本件処分)をしたため、これを不服として本件処分の取消しを求めた事案である。なお、もやもや病とはウイリス動脈輪閉塞症の通称であり、頭蓋内の内頸動脈、中大動脈、前大脳動脈などの主幹動脈が慢性進行性に閉塞し、大脳基底核部の穿通枝が拡張し多くの側副血行路が発達するものであり、拡張した穿通枝や側副血行路が脳血管写上たばこの煙のようにもやもやと描出されることによりもやもや病と呼ばれるようになったものである。

二  原審は、もやもや病においては、精神的・肉体的負荷がなくても血管が自然経過的に破綻するものであり、公務の過重からくる精神的・肉体的負荷と控訴人の発症の間には因果関係が認められないとの理由で、後記四①の公務の過重性についての判断をするまでもなく公務起因性があるとは認められないとして、控訴人の本訴請求を棄却した。そこで、控訴人(原審原告)がこれを不服として本件控訴に及んだ。

三  当事者間に争いのない事実等は、原判決「第二 事案の概要」の「一争いがない事実等」に記載のとおりであるから、これを引用する。

四  本件の争点は、控訴人の脳内出血・脳室内出血の発症が控訴人の従事していた公務に起因して生じたものであるか否か、すなわち、控訴人の脳内出血・脳室内出血は、控訴人の公務による過重な精神的、身体的負荷が控訴人の基礎疾患であるもやもや病をその自然の経過を超えて増悪させたため発症したものか、それとも右もやもや病の自然の経過により発症したに過ぎないものかという点であるが、具体的には、①控訴人の公務の過重性(控訴人の公務が基礎疾患であるもやもや病の自然の経過を超えて増悪させるほど過重な精神的、身体的負荷を伴うものであったか否か)、②もやもや血管の破綻の機序(もやもや病においては過重な精神的、身体的負荷が同疾患の自然の経過を超えて増悪させる要因になりうるものか、それとも精神的、身体的負荷とは無関係にもやもや血管の破綻が生じるものか)が本件における争点として争われている。

争点に関する当事者双方の主張は、次のとおり、当事者双方の当審における補充主張を付加するほか、原判決「第二 事案の概要」の「二 争点」に記載のとおりであるから、これを引用する。

五  当事者双方の当審における補充主張

1  控訴人の公務の過重性について

(控訴人)

控訴人は、発症前年の昭和六三年度(昭和六三年四月から平成元年三月まで)は衛生看護科教諭として他の教諭に比べて多い週二二時間の授業を担当するほか、衛生看護科科長として同科の諸事務を担当し、さらに科学技術高校教務部に所属して同校の年間行事の庶務を精力的に担当していた。とりわけ同年度の三学期には衛生看護科の科長、教諭として、学年末試験の準備のほか、生徒らの准看護婦試験等の受験対策のための指導、翌年度の年間スケジュールの作成や外部講師との交渉に追われ、また教務部職員として同校の選抜入学試験の準備作業や卒業式の準備作業に追われて多忙を極めていた。そして、控訴人は平成元年度は一年生のクラス担任及び生徒指導委員会委員長となり、教務部の職務及び衛生看護科科長の職務は解かれたが、同年四月六日までは前年度の教務部職員として平成元年度の時間割編成等の仕事に従事し、前年度の過重公務による疲労蓄積を回復できないまま新年度の職務を担当するに至った。平成元年度は衛生看護科教諭として同科教諭の中で最も多い週二四時間の授業を担当するほか、担任クラスに二名の問題生徒が含まれていたことからその指導に苦慮し、多忙な公務に忙殺されていた。特に六月に入ってからは、中間考査後の個人面接指導、看護実習の指導、問題生徒の個別指導のほか、本件講習会参加準備等が重なり、毎週一六時間ないし一九時間の時間外勤務を繰り返さざるを得ないほど公務量が増大していた。控訴人は責任感が強く几帳面な性格のゆえにこれらの公務を熱心かつまじめに、手を抜くことなく遂行し、精神的肉体的疲労を蓄積させていった。そして、本件発症の前日である六月二七日は午前中に一年生の初めての実技テストがあり、控訴人は約三時間立ちっぱなしで実技を観察し採点を行い、精神的にも身体的にも疲れる仕事に従事した後、午後からは進路指導部長や副担任教諭に対し控訴人の出張中、問題生徒らについて注意しておいてほしい旨依頼し、その後約一時間にわたって蒸し暑いグランドで行われた避難訓練の間中立ち続け、さらに生徒の個別指導や学級日誌点検等の事務を行って午後六時ころ下校したが、下校前同僚教諭らによって控訴人の疲労困憊した様子が現認されている。

このように控訴人の本件発症は、昭和六三年度三学期からの過重公務による疲労の蓄積を春休みにも回復できず、更に新たな過重公務に従事し、かつ平成元年六月になって更なる公務量の増大があり、精神的肉体的ストレスを増加させ、前日の実技テストと避難訓練という肉体的精神的過酷な公務に従事し、講習会参加準備も重なり、疲労の極限に至った結果であるというべきである。

(被控訴人)

控訴人は数か月ないし一年前の公務の過重性を主張するが、本件のような脳血管疾患の場合には、医学的に見て、発症の前日かせいぜい一週間前の公務の過重性が問題になるにすぎない。また、控訴人が熱心に公務を遂行していたことを否定するものではないが、熱心にすれば公務が過重になるというものではない。

そして、本件の一週間前の控訴人の公務は内容的には日常の公務そのものであり、質的に公務が過重であったとはいえない。また量的に見ても、学校に滞在している時間は一週間で一七時間三〇分、一日あたり約三時間の超過であったものの、そのうち一時間は早朝の自発的な待機時間であり、午後の約二時間の超過滞在も、その時間中すべて残業していたとは考えられない。しかも、本件発症の三日前の日曜日はまる一日休養していたのであるから、この程度の超過滞在をもって量的に過重な公務に従事したということはできない。

本件前日の実技テストや全校避難訓練は予め予定されていたものであり、かつ日常の公務の範囲内にあって、特に過重というべきものではない。また、本件講習会への参加は一か月前から控訴人に告知されていたものであり、十分な準備期間があった上、右講習会自体説明会的な性格のものであり、特に過重な事前準備を要するようなものでも、ストレスを生じさせるようなものでもなかった。

これらのことからすると、控訴人の公務は質的にも量的にも過重なものではなく、本件発症の原因となるほど過重な精神的、身体的負荷を伴うものでなかったことは明らかである。

2  もやもや病によるもやもや血管の破綻の機序について

(控訴人)

もやもや血管の破綻は、もやもや血管の構造的脆弱性自体が原因で起こるものではなく、もやもや血管を脆弱化せしめる因子が作用しなければ起こりうるものではない。控訴人の場合、発症日の平成元年六月二八日になって初めて破綻したものであり、この時点でももやもや血管の解剖学的状況が変化したり、血圧が急激に変動したと考えられない以上、血管壁の脆弱化が進み、この時点で通常の血行力学的圧力に抗しきれなくなったと見るべきである。ストレス、過労、労働の蓄積、睡眠不足等は脳動脈壁の脆弱化を促進する因子と考えられ、控訴人の場合、公務に起因する肉体的疲労、精神的ストレスが強く作用した結果、もやもや血管の脆弱化が進み、高血圧を伴わずに破綻したと考えられる。

(被控訴人)

もやもや血管である穿通枝特に毛細血管においては筋層が全くなく、普通の脳動脈に比してもともと脆弱であり、最大限に拡張した毛細血管に長期間にわたって最大限の血液が流れるために血管壁に負担がかかり、修復力を有しないこれらの血管は自然経過により破綻してしまうものであり、控訴人主張の肉体的疲労や精神的ストレスはもやもや血管の破綻に無関係である。

六  証拠関係は、本件記録中の原審及び当審における書証目録、証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

第三  当裁判所の判断

一  控訴人の科学技術高校における公務の内容、遂行状況、本件発症状況等についてみるに、前記当事者間に争いのない事実及び証拠(甲一ないし一六、一七の1ないし5、一八、一九、二〇及び二一の各1ないし3、二二、二三の1・2、二四、二五の1ないし3、二六、二七の1ないし4、二八ないし三七、三八の1・2、三九ないし四八、四九の1・2、五〇、五一の1ないし7、五二ないし六七、六八の1ないし21、六九ないし七五、七六の1ないし16、七七ないし九三、乙一ないし八、九の1・2、一〇ないし一三、一四及び一五の各1・2、一六ないし二七、二八の1ないし5、二九ないし三二、原審証人大平三千代、同村国明雄、同坪田怜子、同山本淑夫、同古林秀則、同山田弘、当審証人小林香代子、原審における調査嘱託の結果)並びに弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。

1  控訴人の略歴

控訴人(昭和一五年五月一六日生)は、高等学校及び高等看護学院を卒業し、看護婦の免許を取得した後、昭和三八年四月に福井県立若狭農林高校の養護教諭として福井県教育委員会に採用され、福井県立敦賀高校養護教諭としての勤務を経て、福井県立科学技術高校が開校した昭和四九年四月から同校の教諭兼養護教諭として、昭和五一年六月からは同校の教諭専任として勤務し、平成元年六月二八日の本件発症当時同校に勤務していた。

2  科学技術高校の概要

福井県立科学技術高校は衛生看護科のほか機械工学科、工業化学科等八つの学科があり、学科ごとに各学年一学級を構成していた。平成元年四月当時の生徒数は八五五名であり、常勤の教員数(実習助手、事務職員等を含む)は九〇名であった。衛生看護科には三学年で合計一一三名の生徒がおり、いずれも女子であった。同科の教諭は控訴人を含めて五名であり、その教育課程は、普通教科のほか専門教科として、看護基礎医学(一学年)、基礎看護(一、二学年)、成人看護及び母子看護(いずれも二、三学年)、看護臨床実習(三学年)が定められていた。控訴人は衛生看護科の履修教科のうち、専門教科の授業のみを担当していた。また、同校教諭の勤務時間は午前八時三〇分から午後五時五分までであった。

3  控訴人の昭和六三年度の公務

控訴人は昭和六三年度、衛生看護教諭として一週間二二時限の授業を担当していた。そのうち看護臨床実習は一班約一〇名の三年生を対象に毎週福井赤十字病院において朝から夕方まで実施するものであり、担当教諭にとっては一日中立ち仕事である上、患者や看護婦に対する配慮を欠かせない授業であった。これに加えて、控訴人は衛生看護科科長として同科の年間スケジュールを作成したり、戴帽式の段取り、外部講師の応対等の仕事をした。また同校の事務部門の中でも最も事務量が多い部門の一つである教務部に所属し、同部の中でも最も雑務の多い庶務担当として、学校行事ごとに関係機関への連絡、案内状の発送、会場の準備等の公務を担当し、さらに入学選考委員としての公務も行っていた。

昭和六三年度の三学期、控訴人は衛生看護科の教諭として所定の授業を担当するほか、学年末試験の作成、採点、准看護婦試験を受験する生徒や正看護婦を目指して短大や専門学校を受験する生徒のために補習授業や模擬試験を実施したり、学年末試験で及第点に達しなかった生徒や卒業が危ぶまれる生徒のために再試験や追試の準備及び実施をし、さらに衛生看護科科長として翌年度の衛生看護科の年間スケジュールを立案して、外部講師を依頼するために病院や医師との交渉を行った。そのほか教務部担当職員、入学選考委員として、事務量が多く煩雑で細部にまで配慮の必要な入学試験事務遂行の中心的役割を果たしていた。

4  控訴人の平成元年度の公務

控訴人は、平成元年度は、衛生看護科科長及び教務部担当を解かれ、代わって一年八組(衛生看護科)の学級担任及び生徒指導委員長として職務を担当した。ただし、四月一日から同月六日までに行うべき年間行事予定表の作成や時間割編成は前年度の教務部担当者の職務とされていたので、控訴人はこの間日曜日も含めて連日時間割編成の作業に従事した。

控訴人は衛生看護教諭及び学級担任として、平成元年度はホームルーム等を含めて一週間二四時限の授業を担当していた(ただし、これは第一時限から第六時限までとされているが実際には夕方まで継続する看護臨床実習を八時限とし、外部講師によることもある成人看護等の三時限分を加えた時限数である)。また控訴人は、学級担任として、年度当初に学級運営の基本方針とその具体的計画の作成、生徒個人の特長の把握、学籍簿等の書類の整備等の一般的な作業を行っていたほか、問題生徒の指導にも多大の精力を費やしていた。すなわち、控訴人の担当学級には中学時代から非行グループに属していたり派手な服装や突出した言動等をするために一学期の中頃から上級生等からの嫌がらせを受けるようになった生徒が二名おり、控訴人はこれらの生徒に対する指導に苦慮し、生徒指導部の教諭らと協力して対策を練り、これらの生徒が問題行動に及んだり、嫌がらせを受けて相談に来たりする都度、本人らに対して個別指導を行っていた。また、控訴人は生徒指導委員長として、本件発症までの約三か月間に委員会を七回開催して協議をし、この間問題のある生徒二二名に対して停学等の処分を決めている。

控訴人は、同年五月二六日に学校長から、同年六月二九日、三〇日に三重県鳥羽市で開催される文部省主催の本件高等学校教育課程講習会へ衛生看護科教諭の福井県代表として出席することを要請され、それに先立って行われた校長会の資料の写しを受け取った。本件講習会は学習指導要領の改訂準備として、新指導要領の趣旨内容を現場の教師に周知徹底させるために開催されるもので、参加資料として新旧の学習指導要領と同解説各編が指定され、控訴人は本件講習会への出席が決まった後、これらの資料に書き込みや下線を引くなどして事前準備をしていた。

また、控訴人は同年六月になってからは、それまでの公務に加えて、前記の問題生徒に対する個別指導のほか、一学期中間考査後の個人面接指導、同月二七日に実施される一年生にとって初めての実技テストの準備のための実技指導、六月に二年生の実習授業のチーフになったことから実習記録点検等の公務が追加され、従来学校滞在時間内に行っていた授業にむけての教材準備時間が右時間内に十分とれなくなっており、その不足分や本件講習会参加のための事前準備は帰宅後に行っていたものと認められる。

5  本件発症の前日(六月二七日)の二時限から四時限にかけて、一年生の初めての実技テスト(ベットメイキングなどの実技のテスト)が行われ、控訴人は約三時間の間立ちっぱなしで二人ずつ順次行われる実技を観察して採点した。右テストの終了後、日頃疲労を訴えない控訴人が同僚教諭に「大変疲れた」と話していた。同日午後の五時限目には担当する授業がなかったことから、控訴人は進路指導部長や副担任に対して、控訴人の出張による不在期間中、控訴人の学級の問題生徒二名に注意を向けるように依頼した。六時限目には全校避難訓練が校庭で行われ、控訴人は蒸し暑い天候のもとで約一時間立ち続けていた。その後、控訴人は生徒への個別指導、学級日誌点検などの仕事をし、午後六時ころに下校したが、下校前にしばらくの間、自分の机のところで疲れた表情を浮かべて呆然としていた。

6  控訴人は同年六月二八日午前九時五〇分ころ、本件講習会に参加するために当時の下宿先から約五〇〇メートル離れたJR北陸本線越前花堂駅に赴き、同駅北側の階段(一三段)を上り詰めたところで、両手に持っていた二個のバック(重さ約三キログラムと約四キログラムで、この中にはテープレコーダーも入っていた。)を足元に落とした。そして駅員に導かれて待合室のベンチに腰掛けたが、突然嘔吐し、言葉が徐々に不鮮明になっていくとともに体が異常にふるえ始めた。これを見た駅員が救急車を呼び、同日午前一〇時一〇分ころ控訴人を救急車に搬入した。控訴人は呼吸不全、深昏睡状態のまま福井赤十字病院に搬送され、同日午後一時から血腫除去術等の緊急手術を受けて一命は取り留めたものの、現在も意識障害、左半身完全麻痺の障害が残り、自立生活ができず、障害者施設に入所して暮らしている。控訴人の右発症は、もやもや血管の破綻による脳内出血・脳室内出血であると診断された。なお、本件発症に至るまで控訴人のもやもや病は無症状であり、控訴人にこの疾患があることは判明していなかった。

7  控訴人の前記公務の遂行状況

控訴人は、少なくとも平成元年四月以降は、ほぼ連日午前六時に自動車を運転して福井県三方町の自宅を出て、約一時間三〇分の通勤をして午前七時三〇分に科学技術高校に到着し、教材準備等をした後に授業に臨んでいた。下校時間は定刻の午後五時五分であることは稀で、午後六時前後になることがしばしばであった。特に、六月に入ってからは時間外勤務時間が増加し、本件発症の四週間前は週一六時間、三週間前は週一六時間三〇分、二週間前は週一九時間、一週間前から発症の前日までが週一八時間と推移し、右四週間の合計は六九時間三〇分にのぼる(なお、控訴人は本件発症の一二日前から科学技術高校近くの下宿から通勤していた)。この間、昼休みは生徒が来れば生徒に応対し、仕事があればこれに取り組む状態で、十分な休憩、休息をとっていなかった。また、年次有給休暇も昭和六三年度は二日と三時間、平成元年度は一日半と三時間しかとっていなかった。

控訴人は、まじめで几帳面な人柄であり、仕事に手を抜けないところから、前記認定の公務にいずれも熱心に取り組んでいた。また、控訴人は衛生看護科の教諭のうち最年長で、しかも科学技術高校創立時から在籍するなど経験が豊富であって、同僚教諭からも信頼され、頼りにされていた。

8  他の教諭の公務量等との比較

控訴人の担当授業の時間数(週二二ないし二四時間)について、科学技術高校衛生看護科の他の教諭には、昭和六三年度及び平成元年度に控訴人とほぼ同数あるいはそれを若干上回る時間の授業を担当している者もいるが、同校の他の教科科目担当教諭の平均が週一七時間であることや一般的な高校教諭の平均担当時間が週約16.8時間であることからすると、担当授業の時間数は少なくない。

控訴人が昭和六三年度(平成元年三月まで)に担当していた教務部の仕事についてみると、科学技術高校ではクラスの正副担任を除いた教諭が教務部、生活指導部、進路指導部、保健部、図書部、庶務部のいずれかに所属することとされていたのであるから、控訴人が教務部に所属していたこと自体は他の教職員に比較した場合の公務量の多さとは関係がない。しかし、教務部の担当事務が多岐にわたること、控訴人が長年教務に携わり、教務経験の浅い教務部長から頼りにされ、教務全般にわたる仕事をこなしていたこと、特に平成元年度入学試験事務遂行の中心的役割を果たしていたことなどからすると、控訴人の事務量は決して少ないものではなかった。

控訴人が昭和六三年度に就いていた衛生看護科の科長の職務は、控訴人独自の職務であり責任はあるが、その事務量は特に多いものとはいえない。

控訴人が平成元年に学級担当の公務を担当していたことも、学級に問題生徒が二名いてその指導に精力を注いだことも、それ自体としては他の教職員に比較して公務量が多いとはいえない(同校においては約三か月間に二二名もの生徒を処分したのであるから、控訴人以外の学級担任教諭も控訴人と同様に生徒指導に精力を注いでいたと見られる)。しかしながら、わずか三日間の出張であるのに、その間の問題生徒の指導を他の教諭に託すことからも窺えるこの問題に対する控訴人の精神的負担の大きさは否定できない。

9  控訴人の健康状態

控訴人は本件当時身長一五八センチ、体重六〇キログラムの独身女性であり、定期健康診断時に血圧に異常はなく、胸部レントゲン、尿蛋白、尿糖ともに異常はなく、普通の健康体であった。また、酒、たばこはたしなまず、コーヒーも多くは飲まなかった。本件発症後に行われた血液検査においても、コレステロールや中性脂肪等は正常値であり、そのほかにことさら異常を示すような検査結果は得られなかった。

二  もやもや血管の破綻の機序について

1  この点について岐阜大学名誉教授の山田弘医師は「もやもや病の出血は脆弱なもやもや血管の存在が問題であり、出血の誘因となるような状況、出血時の血行動態等は未だ明らかにされていない。血圧上昇がなくても出血している症例が多数報告されており、どのような状況でも起こりうる。本件の場合、出血の原因は何かと特定することはできない。強いて言えば、脆弱なもやもや血管の存在である。」との意見を提出する。

これに対して高松赤十字病院救急部長・脳神経外科副部長の新宮正医師は「もやもや血管はすべてが破綻するわけではなく、破綻に至った症例では個々の要因を考慮する必要がある。もやもや血管の破綻は、先天的な血管壁の構造上の脆弱性に由来するものではなく、後天的な血管壁の組織的脆弱化に由来する。ストレス、過労、疲労の蓄積、睡眠不足等やストレスに伴う交感神経系の刺激は脳動脈壁の脆弱化を促進する因子と考えられる。」との意見を提出する。

2  もやもや病の自然経過に関する知見は乏しく、未だ不明な部分が多く、また出血原因に関する知見も歴史的に変化しており、これを特定することは困難であると思われるが、もやもや病においては血圧上昇がなくても出血している症例が多数報告されており、どのような状況でも起こりうるとされているのであるから、もやもや病の自然経過によりもやもや血管が破綻することがあること自体は否定し得ないと考えられる。しかしながら、他方、ストレス、過労、疲労の蓄積、睡眠不足等やストレスに伴う交感神経系の刺激が脳動脈壁の脆弱化を促進する因子であるとする点は合理的なものとして十分理解することができ、さらに、もやもや血管に筋層がないとしても、血管壁が存在する以上、これに障害を与えるような因子が作用して破綻することが考えられるのであるから、もやもや病の自然経過(もやもや血管の存在自体)以外に破綻の原因がないとまでは考えがたい。

そうすると、精神的、身体的負荷ももやもや血管破綻の誘因となると考えるのが素直かつ合理的であり、本件においては、結局、控訴人の公務がもやもや病の自然の経過を超えて増悪させるほど過重な精神的、身体的負荷を伴なうものであったか否か(控訴人の公務の過重性)の判断を避けられないというべきである。

三  控訴人の公務の過重性について

前記認定の事実によれば、控訴人は福井県立科学技術高校の衛生看護科教諭として、同科の授業を担当して生徒の教育指導に当たっていたほか、昭和六三年度は同科の科長を務めるとともに教務部に所属し多岐にわたる事務を処理していたこと、平成元年度は学級担任や生活指導委員長を務めていたこと、その個々の公務はほとんどが日常の公務の範囲内のものであり、その公務量も必ずしも他の衛生看護科教諭らに比較して著しく多いとはいえないものの、控訴人はまじめで几帳面な人柄であることや他の同僚教諭らから頼りにされていたことなどから、仕事に手を抜けず、前記認定の公務にいずれも熱心に取り組んでいたこと、そして、このことに、学校教育においては教諭に熱意を持って丹念に指導する意気込みがあればするべきことは限りなくあり、この意味で学校教育における教諭は単に与えられた仕事を決められたとおりに処理するような性質の職業ではなく、自主性、主体性が求められる職業であることも考えれば、右両年度の控訴人の公務の労働密度は相当高かったこと、控訴人は、この間相当の時間外勤務に従事しており、本件発症の前四週間の時間外勤務の合計時間は六九時間三〇分にのぼること(この時間も前記認定の諸事情からすると密度の高い労働がなされていたものと考えられ、これに反する被控訴人の主張は理由がない。)、右のような勤務の継続が控訴人にとって精神的、身体的にかなりの負荷となり、慢性的な疲労をもたらしたこと、特に昭和六三年度の三学期と平成元年度の六月は諸行事や本件講習会参加の準備を含むさまざまな公務が重なり控訴人にとって負担の重い公務遂行であったこと、とりわけ控訴人の担任学級の問題生徒らに対する指導は控訴人に多くの精神的・身体的負荷をかけたものと考えられること、右のとおり継続的に相当時間の時間外勤務に就いた上、労働密度の高い公務に従事していたにもかかわらず、五月のゴールデンウィークの期間中に若干の休息があったと認められる以外はまとまった休暇を取ることもなく、いわば仕事一筋の生活を続けてきて、慢性的に長期間にわたる疲労を蓄積させたまま本件発症時を迎えることになったこと、本件発症前日には、いずれも立ちっぱなしの状態で実技テストや避難訓練が実施され、これが控訴人の蓄積した疲労に追い討ちをかけ、控訴人が同僚教諭らに対し「疲れた」と言うに至らせていること、そして本件発症当日は、三重県鳥羽市で開催される高等学校教育課程講習会に参加するため両手に合計約七キログラムのバッグを持ち約五〇〇メートル歩いて越前花堂駅に赴き、午前九時五〇分ころ同駅階段を上り詰めた辺りで本件発症に至ったものであること、控訴人は本件発症前は普通の健康体であり、職場の定期健康診断において血圧や検尿等で異常が指摘されることはなく、酒やたばこをたしなまず、健康に悪影響を及ぼすような嗜好がなかったこと、ストレス、過労、疲労の蓄積やストレスに伴う交感神経系の刺激が脳動脈壁の脆弱化を促進する因子であり、これらによるもやもや血管壁の脆弱化がもやもや血管破綻の原因の一つになりうるものであること、本件においてはもやもや血管自体の構造的脆弱性以外にもやもや病の増悪要因が見あたらず、右の構造的脆弱性もそれ自体以外の要因なしに本件発症を生じさせたとまでは考えがたいことなどが認められ、これらの諸事情を総合考慮すれば、控訴人が本件発症前に従事した公務は控訴人のもやもや病をその自然の経過を超えて憎悪させるほど過重な精神的、身体的負荷を伴うものであったとみるのが相当であって、右公務が控訴人のもやもや病をその自然の経過を超えて増悪させ、本件発症に至ったものと見るのが相当である。

四 以上のとおりであり、控訴人の本件脳内出血・脳室内出血の発症は、右発症前に控訴人の従事していた公務に起因して生じたものであり、その間に相当因果関係があると認めるのが相当である。

五  そうすると、被控訴人が、本件発症と控訴人の公務との間に因果関係がないとして平成二年二月二八日付けでした控訴人に対する地方公務員災害補償法による公務外認定処分は取消しを免れず、控訴人の本訴請求は理由があることに帰着する。

第四  よって、控訴人の本訴請求を棄却した原判決は相当でないからこれを取り消し、控訴人の本訴請求を認容することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官窪田季夫 裁判官本多俊雄 裁判官榊原信次)

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